第二次世界大戦をはさんだ1940年代の忌わしい10年間については、多くを述べる必要はないでしょう。1940年9月、日独伊三国軍事同盟の締結後、連合国と枢軸国との軍事的対立は不可避となり、1941年12月、遂に大東亜戦争の開戦となります。緒戦に優勢であった日独も、巨大なアメリカの生産力の前に、1945年相次いで降伏しました。現在の“国際連合”は同45年、アメリカを中心的メンバーとして設立されました。大戦が終った時、アメリカは世界一の生産力を持つ債権国であり軍事大国になっていました。戦争にかかわる需要の増大でニューディール政策では達成できなかった完全雇用を実現し、大恐慌の苦しみは夢となり繁栄の時代を迎えました。これに対して戦争に敗れた日・独は言うに及ばず、戦勝国の英・ソ連も戦争により疲れ切っていました。特に英国は、多くの植民地が独立し、大英帝国は事実上解体、かつての“パックス・ブリタニカ”の時代は完全に幕を閉じたのです。こうして、世界の経済地図は大きく変わり、アメリカを中心とした戦後史の新たなページが開かれることになります。
第1次臨時行政調査会が1962年に、行政機構の簡素化や規制の緩和を求める答申をまとめてからすでに30年が経過しました。その後、行革の舞台は第2臨調、第1次行革審、第2次行革審、第3次行革審へ引き継がれてきました。大きくなりすぎた政府をスリムにするには、ムダをなくすことが不可欠です。民間の活力を引き出し、市場での競争を高めていくには、政府や自治体の許可・認可を減らしていかなければなりません。土光敏夫氏(故人)が会長として辣腕をふるった第1次行革審は、日本電信電話公社(現在のNTT)や日本国有鉄道(現在のJR各社)の民営化を実現し、強いリーダーシップを印象づけました。しかし、これまでの行革を振り返ってみると、実現したものよりは無担されたものが多いようです。
中流階級の人々が転落した主な原因は、技術革新と経済のグローバル化にある。技術革新により、経済活動にはより高度なスキルが要求されるようになった。高度なスキルをもつ人には活躍の場が与えられるが、そうではない人は職業の選択肢がかぎられてしまう。ごく普通の能力があればそれなりのポジションを確保できたひと昔前の状況とは異なり、現在は、高度なスキルをもっていなければ活躍の機会が与えられにくくなっているのである。これに追い打ちをかけたのが、経済のグローバル化だ。経営者はコストダウンのために賃金の安い外国に自社工場をつくり、生産拠点を移したり、外注したりするようになった。そのほうが経済的効率がよいからである。結果として、正規社員にはなかなか採用されず、パートや契約社員などの非正規社員として働かざるを得なくなり、賃金格差が生じてしまう。